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2015.11.14

 久々に日記を書く。久々ついでに書くと、昨日から半月ぶりに読書を生活に組み込むようになった。
 ロス・マクドナルドの「さむけ」を半月くらいかかってようやく読了。実際に本を手に取っていた日数はそのうちの三日くらいではないだろうか。今はサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」を読み始めた。

 「ライムギ畑でつかまえて」を読んだときは正直よくわからなかった。なるべく大事に、できることなら感覚を空けずに読みたいと思っている。

 

 最近はとにかく将棋が楽しい。生活の中で大きな位置を占めるようになってきている。
 前に買った詰将棋の本を開く気はここ半月ほどまで全くしなかったのだけれど、ここ三日ほどは進んで読むようになった。


 自分の感覚でどう転んでも詰まないような局面で、三手で詰むと本が断言していて目が回りそうになる。それから三分くらいかけて検討してみると確かに詰むな、と頷かされる。
 詰みがあると言われたからこそ収束への変化を読む頭脳に切り替わるもので、普段の対局時ではより負けにくい形、有利な展開を意識して指すのでまず意識がいかない。


 詰将棋をやっていて助かるのは、「この局面なら詰むだろう」という感覚がより精度が高く、そして鋭敏になっていくということである。これは本当に大きい。
 今でも実戦でよく出てくる送りの手筋などは、実際出てきてもよくわかる。そういう自分にとっての当たり前がじわじわと広がっていくことで強くなっていくのだと思っている。

2015.11.4

 久々に日記を書く。最近読書ができていない。英語のほうに集中して時間を割くようになってきたからである。


 英語を聞き取る能力はかなり伸びてきたように思う。聞き取れたものの文意をすぐ掴めるようになってきたし、今までは繰り返して聞いても何が起こっているかわからなかった音の連結もそこそこ聞き取れるようになってきている。すべて海外ドラマを字幕付きで見るのを繰り返してきたおかげである。


 この段階まで来て痛感するのは、英語の語彙力のなさである。聞き取れはするものの、意味がすっと出てこなかったり、よくあることには単語そのものを知らなかったりして文脈からの推定でもどうしようもないことが多い。


 単語帳での勉強を始めなければと思い始めてきている。高校のときやった基礎レベルの語彙も抜けているものは多いだろう。気の遠くなるような作業になるだろうが、就活のためにはしょうがないことである。
 結局、大体の分野で何か極めようと思うと英語の解説本を読む機会が本当に多い。物理でもパソコンでも最先端のよくわからないところを解説してくれているサイトは大体英語だった。読めると将来少し楽になるということを強調してやる気を誘発する作戦である。


 だらだらと進めていても成果は上げられないので何か小さな目標を設定することから始めたい。

2015.10.29

 文章の書き方を再考したい。これは結構前から考えていたことで、接続詞の上手い用法を解説している新書や文章の書き方の本を買っては読んでみたけれど、何も考えずに文章を書くとまったく読んだ成果が認められない。

 

 これからはなるべく文体や読みやすさ、単語の選定などをちゃんと考えて書く。構成も見直さなければならない。
 具体的には、言いたいことは表現を変えて複数回言ったり、比較して物事を語るときは二項対立を念頭にパラグラフを組み立ててねばならない。

 上手だったり尖っていたりする文章を読めばそういう方面に意識が向く。だいたい小説を読んでいればこの動機付けには事欠かない。
 しかし、文章を学ぶという目的をもって小説を読むことは感情移入を阻害する大きな要因となる。もうこれはしょうがないと割り切ってしまう。


 一度、この文章から学ぶべきであると知ってしまえば、もう目を背けてただただ小説の中の世界にのめりこむことはできない。クライマックスに入るくらいであれば大丈夫なのだが。


 ようやく読書の習慣を取り戻してきた。今日は実験の待ち時間が三時間くらいあり、その間ずっと装置の前でデータができていくのを確認しながら読書して暇をつぶしていた。
 二時間弱くらいで読書への集中力がなくなってしまった。最近ソシャゲばかりだったのでいち早く慣れるようにならないと……。